花 櫛     Blumen  EimKamm

   
      NO。5   名古屋見物

 我が家では、小学一年生になる前に、子供に必ず名古屋を見せてくれるのが、親達の勤めになっていたらしい。

大正から昭和の初期頃、一日に2本位のバスに乗って、小一時間も乗り、高い高いバス賃を出すという様な、大旅行になる。その頃に名古屋見物という、

大事(おおごと)は、他家では中々させて貰えなかった。親はたいそう自慢であったようだ。


当時、名古屋見物が出来る家の子は、小学校に入学した時の生徒四十人中、同級生でも二、三人位かそれ以下であったと思う。


 朝、三時ころに、母にたたき起こされて、指折り数えて待っていた、名古屋見物で眠いのも、なんのその、出かけるのその日は大変嬉しかった。

袖の長いモスの着物(銘仙)。場打ちの(畳表のついた)下駄で着飾った。 名古屋へ行けることもさる事ながら、この服装でも嬉しくて仕様がなかった。

四方から登り詰めた山の中にある我が家から、どんどんと三里位も下ったところにある、瑞浪(ミズナミ)に鉄道の駅があった。

六歳位であった、私達子供でも、普段はこのくらいの道のり(距離)は、トットと、歩いたものであっただが。


 駅に着いて待つと、汽車がホームに、入ってきた時に、私は絵本で見ていた、綺麗な汽車を想像していたので真っ黒な大きな汽車に、ビックリして逃げに掛かった。

私は、父に襟首を取られて、箱の中に入ってからも、二度ビックリした事を覚えている。箱の中は、白いカバーのついた座席や、ハイカラな感じのする装飾がしてあり、

やっと安気したものであった。


 名古屋では、同じ村から出て宿屋(山の家という名前)を、していた家で二泊した。

青い海を見に「西築港から東築港」まで船に乗せてもらった。一面、葦簾で張った、何拾軒と並んだ、食べもの屋で、玉子の味噌田楽、所天、初めてみるような、

変わった食物を食べて、この壮観な食べ物屋の一群には、まずビックリした。


そして、廣い青い海を初めて見た。木の階段では、木の階段に下駄の歯が挟まってしまったり、下を見ると、目の廻るような高い桟橋に上がって驚いた。

そして草原(くさっぱら)の中をまっすぐに、敷かれたレールを見ながら、電車で「大須」という所まで来て、「観音様」にお参りして、その夜は、「山の家」という、

知り合いの宿屋に泊めてもらった。
 

そして次の日は「松坂屋」見物。お店の中には、なにもかもの品がたくさんあり、度肝を抜かれ、ただ呆れていた。父に(名古屋の人は何時も何時も、金毘羅さんか

のう?)と、尋ねて大笑いされ、再びびっくりしたものでした。なぜなら、隣村の「原」とう部落に非常に大きな金毘羅様が奉ってあり、春と秋にある大祭に近郷近在を

上げて参拝をしていた。その人出は、子供たちにとって、破格の賑わいをであった事は確かであったので。都会では、お祭りでもないのに、美しい着物を付けて、

沢山の人達がこんなにぞろぞろと、してるから、何時仕事が出来るのか、と父に問いかけた。


父の答えから、私は都会というところは、大変なところだと、大いに驚いたものであっった。


 次に行ったのは、名古屋城。 私は袂を持って、お尻を父に押し上げてもらいつつ、手のひらを立てた様な、梯を登った天守閣は、かび臭く、暗くて薄気味が

悪いところだと、首をすくめて見たのを思い出す。

お城をでると、今度は鶴舞公園へきた。生まれて初めて見た種々の動物にたまげた。父の袂をしっかりとつかまりながら、歩いた。父が大きな象の前で、

象の名前を呼んだ。象が鼻を上げて挨拶をするのを見て、父が非常に偉い人に思えた。


臭い、臭いというと、怒るぞ!」と言いながら、父が「臭い・・・」というと、長い鼻で本当に臭い水を「シュウー」と掛けてよこしたので、ホウホウの態で象舎を

逃げ出した。この公園の象舎のある後ろの方では、表を走ている電車が見えたので、案外ここは、町の中にある動物園だなと、思ったりした。

公園の中をゆっくり見物して、帰った宿では、私は疲れた脚をなぜなぜして(擦って)もらった。


 父と宿屋の小父さん、小母さんらが、話して居るのを聞きながら、外(ほか)の、お客さんが知っている人達やら、言葉もあまり分からない人達がいて、とても面白かった。

夕食後、宿の近所を見て歩くと、長い袂の着物を着ていると人がいっぱいいて、毎日毎日、こうして見物して「遊んでいたいなぁ」と強く思った。


 次の日は覚王山日泰寺。シャムから来たとかの、お釈迦様の分骨を拝み、大きくて釣り上げられないという、大釣鐘を見たりして、広小路に戻った。

松坂屋、十一屋(今の丸栄)、中村百貨店(今の三越)、中央バザーでは、それぞれに土産物を求め、千種驛から、帰途についた。


 思えば、大須の観音様の近くにあった「クラブ亭」で初めて口にした、「かき」のフライ。海苔のたっぷり掛かった「掛け蕎麦」、黒い膳の上に沢山乗った「山の家」の

ご馳走。それはそれは、楽しい3日間であった。本当にいい、お父っあん、お母っさんだなと、思いながら、名古屋の思い出を、胸をいっぱいに膨らませながら、

瑞浪の駅に着いた。 今度は、三里の坂道をえっちら、おっちらと、母と姉が、妹や私と父を迎えにきていた。


今思えば、長い間、いつまでたっても恐らくは、私は死ぬまで忘れられない、幼き名古屋見物のお思い出として残っている事でしょう。


 

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